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豆の代わりにチョコをまく!?

=変わりゆく節分の風景でも変わらぬ思い=

2018年02月13日

社会・生活

企画室
竹内 典子

 「鬼はー外、福はー内」―。2月3日の節分の日、筆者の実家では、今年も元気な豆まきの掛け声が響いた。私が子供の頃は、鬼役の父に豆を思いきり投げて楽しんだ後、自分の年齢の数だけ豆を食べたことを思い出す。鬼役を務めてはや半世紀となる父は、例年のように鬼の面をつけて登場。孫から豆を投げられるのがうれしくて笑っている。短気で声が大きかった昭和の「鬼」もこうなれば形無し。角がすっかり取れて丸くなったのを見ると、時の流れを感じてしまう。

 「節分」とは、四季の始まりとされる立春・立夏・立秋・立冬の前日を指し、「季節を分ける」という意味がある。つまり本来、節分は年に4回あるが、立春は新年の始まりに相当する大事な節目だったため、現在では立春の前日のみを指すようになった。ちなみに、今年の立春は2月4日だが、年によって1日前後動くこともあるため、節分は必ずしも2月3日にはならない。

 ところで、どうして節分には豆まきをするのだろうか。もともとは古代中国の宮廷儀式で、新年を迎える前に邪気をはらうために行なわれていた。それが日本に伝わったという。現在のように豆まきをして鬼を追い払う行事になったのは、室町時代からといわれている。

 日本では、古くから豆や米には災いを払う霊力があると信じられてきたため、節分では炒(い)った大豆をまいておはらいをするようになった。鬼は災いや病など悪いことを引き起こす邪気の象徴。鬼の目(魔目)に豆をぶつけて魔を滅する(魔滅)という「まめ」の語呂合わせが込められているといった言い伝えもある。

 炒り大豆の代わりに落花生を使う地方も増えている。全国落花生協会によると、北海道や東北地方、新潟県、長野県などが落花生を使うことが多いそうだ。雪の多い地域で使われる割合が高いのは、雪の中にまいた豆を拾うのは落花生の方が楽であり、衛生的であるなどの理由が考えられるとのことだ。

 子供のいる友人に聞くと、「最近は大豆を小分けのビニールパックに詰めたものを豆まきに使う」という。衛生面での心配もないし、何より掃除がしやすい。節分用のお菓子もいろいろと登場している。一粒ずつ包装したチョコレートやマシュマロ、甘納豆、鬼の顔が入った金太郎飴...食品メーカーの商魂のたくましさを感じてしまう。

 節分の風景が変わったのは、それだけではない。大手コンビニチェーンが力を入れたこともあって、関西生まれの「恵方巻き」が関東にも浸透しているのだ。恵方巻きは、その年の福徳を司る歳徳神(としとくじん)のいる縁起の良い方角(=恵方)を向いて、巻きずしを丸かぶりすると願い事がかない、無病息災や商売繁盛をもたらすといわれている。

 近所のデパートでは、和牛ステーキや大海老、大間の本マグロなど、目玉となる具材を巻いたものや、十数種類の具が入った太巻きなど趣向を凝らした恵方巻きが並んでいた。値段も数百円から4000円以上もする豪華なものまでバラエティに富む。多くの客が目移りしている様子がうかがえた。友人の一人は「恵方巻きの後は、巻き物スイーツのロールケーキでたくさんの福を呼び込むぞ!」とSNSにアップ。節分の新しいグルメとして広がっている一方で、大量廃棄の問題も指摘されるなど"急成長"の陰も見え隠れする。

 ただ、節分の過ごし方がいかに変わろうとも、厄をはらい、家族の健康と新しい一年の幸せを願う気持ちは変わらない。春の始まりに思いを込める。それこそが、受け継がれる「文化」というものなのかもしれない。

20180214.jpg(写真)筆者

竹内 典子

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